遺言書の書き方シリーズ | エンディングノート~もしバナカードって何?

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皆さんこんにちわ。

行政書士、ケアマネジャ-の坂本です。

「もしバナカード」

皆さん、いきなりですが「もしものための話し合い~もしバナカード」というカードはご存じでしょうか。(詳しくは以下ホームページを確認ください→https://www.i-acp.org/game.html

私は友人からの紹介でこのカードゲームの存在を知り「もしバナマイスター」という研修を受講し、もしバナ文化を普及させる立場でもありますので、今日はこのカードについて少しお話をしたいと思います。

「もしバナカード」って?

カードの説明書にはこうあります。「人生の最期にどう在りたいか。誰もが大切なことだと分かっています。でも、なんとなく「縁起でもないから」という理由で避けてはいないでしょうか。このカードを使えば、そんな難しい話題を考えたり話し合うことができます。またゲームを通して、友人や家族にあなたの願いを伝え、理解してもらうきっかけ作りにもなります。」

ゲームの設定は余命半年。カードには「家族と一緒に過ごす」「ユーモアを持ち続ける」「お金の問題を整理しておく」など書かれており、「余命半年と宣告されたあなた、一番大事にしたいものはなんですか?」と問われ最後はどのカードを選ぶのか、そしてなぜそのカードを選んだのか話し合う時間を作っていく、というものです。

どんなカードがあるのか、もう少し見てみましょう。

もしバナカードの背景

「人との温かいつながりがある」「祈る」「あらかじめ葬儀の準備をしておく」「自分の人生を振り返る」「家族の負担にならない」「死生観について話せる」「誰かの役に立つ」「家で最期を迎える」「信頼できる主治医がいる」「親友が近くにいる」「いい人生だったと思える」などです。

アメリカから輸入されたカードなので、キリスト教色が濃く反映されているかもしれません。

このカードは数年前より医療介護業界では市民権を得つつあるのでは、というところですが要は「縁起でもない話をカードゲームを使って、みんなでちょっと将来のことを考えてみませんか」というものです。アメリカで誕生したものではありますが、日本では亀田総合病院(千葉県鴨川市)の先生方が日本に輸入しで少しずつ広まっているという状況のようです。

ただこのカードはあくまで「もしもの時を考える」きっかけであり、一つのツールであってカードを使うこと自体が目的ではありません。なかなか急に「さあ、いざという時のことを」を会話に切り出すのは難しいもので、遊び心をもってカードゲーム感覚で考えてみませんか、というものです。

もしバナカードの使われ方

コロナ禍以前は病院や施設など医療法人や社会福祉法人が主体となって地域住民向けに「もしバナカードゲーム」を企画しているところもありました。

企画の意図は、まさしく「日常生活の中で死生観に触れる、考える場所を作る」です。

例えば急性期病院では平均在院日数は10日前後。この短い期間に医療者から「さあ延命治療はどうしますか。告知はどうしますか」と言われて即答できる患者や家族はまずいらっしゃいません。先日も「告知をするかしないか」で悩んでいた家族様がいらっしゃいまして「本人とそんな話をしたことがないので、分からないんです。」と。患者・家族からすればあとがない窮地に立たされたとも言える入院中に、普段から話し合ってもいないこと、自分の意見として表現もしていないことを医療者に迫られて意思表示できるはずがありません。

そんな時に、普段からこのようなゲームに慣れ親しんでおくと、ちょっと気持ちが違うかもしれませんね。

またもしバナゲームに参加されたことのある一般の皆さんの記憶に残ったのは「もしバナカード」という名前ではなく「なんかわからんけど、縁起でもない話をみんなで話あったな」という記憶だと思います。

同カードは「ゆるい空気感を作る」という意味では使い勝手のよいアイテムだと思いますし、まだカードゲームをやったことがない、という方はぜひホームページをチェックして下さい。購入される方は最近Amazonで「ニセもの」が出回っていることがあるようですので、十分注意してくださいね。

もしバナカードとエンディングノート

なぜ今回「もしバナカード」のお話をしたかといいますと、当然ながらエンディングノートと非常に相性がよいカードゲームだからです。

カードそのものが大事なのではなく、あくまでカードはきっかけであり、一番は「大事な話をさりげなく」ということだと思います。本来はこのようなカードすら使わず自然に話し合うことができればよいのですが、日本にはそのような文化がないように思いますので一つの口実にしてはどうでしょうか。

そして更に重要なことはこのような話し合う場所が「続いていく」ことです。

先ほどキリスト教色が、という話をしましたが例えばクリスチャンの場合「日常生活の中で死生観に触れる、考える場所」がまず身近にあること、そしてその場所が「教会」であり、その教会の一番の強みは何かと考えた時、牧師さんや信者さんの存在はもちろんですが定期的に皆で顔を合わせ「話し合う」という習慣が「続いている」ことではないかと思います。

なぜ「続く」ことが大事なのか?それは人の気持ちは誰かが亡くなった、病気になったという周りの環境によって日々「変化」するからです。そしてその変化に私達自身も気づいていないことが多く、それは人と意見を交わすことで自分の気持ちに改めて気付く、そんな場面に出会うことも皆さん少なくないのではないでしょうか。

つまり自分の些細な気持ちの変化に気付くためには「意見を出し合える場所が定期的にある。続いている」ことが重要なのです。

そしてその場所は家庭だけではなく、生まれ育った環境や価値観も違う友人や地域住民との交流の中でこそ新しい価値観や物事に対する見方を気付かせてくれるのではないかと思います。こう考えると家族以外との交流も非常に大事だと言えますね。

今はコロナ禍でなかなか集まることができませんが、最近はオンラインでの交流やイベントも増えてきました。「オンラインなんて」と思われ方もいるかもしれませんが、先日あるカルチャー教室のオンライン講座に参加されていた方は81歳女性でした。

少しずつ社会も新しいアイテムに慣れてきたような気がします。「オンラインは苦手だ」という方も、負けてられませんね。

もしバナカードの説明書の最後にはこうあります。「実際に家族や友人と、あなたのカードの選択の理由について話し合う時間を作って下さい」

何を選んだか、誰が正しいのか、ではなく「話し合う時間」が一番重要のようです。

エンディングノートに何を書こうか?迷われた時

家族でも友人でもご近所同士でもオンラインでも「ちょっとやってみーへん?」

素敵ではないかと思います。