介護における食事と栄養摂取の違い

もし流動食しか食べられなくなったとしたら、食事を楽しめるだろうか?

おそらく楽しめない人がほとんどだろう。
食事というのが単なる栄養摂取ではなく、味、見た目、食感、シチュエーションといった栄養摂取以外の要素が多面的に構成されているからだ。

生存本能

人間や動物の本能はつまるところ生存と繁殖のためにあるので、「機能」だけ抽出すれば別に流動食でも構わないように思う。ではなぜわざわざ「食事」というものを人間が必要とするのかと言えば、それは「情動」が関わっていると歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリはサピエンス全史の中で指摘している。「情動」とは本能に沿った行動に伴う感情の起伏で、例えばスイーツを幸せな気持ちでついつい食べ過ぎてしまうようなものだ。では情動はなぜ生じるのかというと、「甘い」という味覚でいうと、我々のプリミティブな祖先は甘い食べ物から摂取できる栄養素は一度にたくさん摂取する必要があったからだという。

私たちが本能に沿った行動をする時は、なぜ?とか科学的な根拠は?とかわざわざ考えなくても「お腹が空いたら食べたくなる」「愛する人と一緒に食べると幸せ」といった情動が伴うものだ。

家畜の苦しみは身動きの取れない檻の中で死ぬまで栄養と安全を与え続けられることだが、まさに「情動」をカットされただ生きている状況である。(こうした処遇はヨーロッパでは少しずつ改善されつつある。)

食感のない食べ物

嚥下機能は低下したが食欲はある高齢者にとって食事はつらいものかもしれない。
[あいーと]という、見た目にこだわった介護食を提供するイーエヌ大塚製薬株式会社の調べによると介護の時、介護者が負担に感じる介助の1つに食事があげられている。介護食は手作りすることが多いというから余計に大変なのだろう。

イーエヌ大塚製薬株式会社調べ

株式会社ギフモのデリソフターという調理器も、見た目を変えずに嚥下機能が低下した人でも食べやすい加工を調理済みの食材に施すことができる。この調理器の秀逸な点は柔らかいのに食感が残っている事だろう。

欲しいのは栄養だけではない

栄養だけを求めるなら食感などどうでもいいのだ。しかし、私たちは食べることを楽しみたいと思っている。というより当然に楽しめるものだから意識すらしていなかったのだ。それを失うまで。

情動は失って初めてその大切さに気づくのだ。AからB地点に最短で行くことばかり考えてはいないだろうか。よかれと思ってカットされた無駄の中に情動が含まれていることに気づいても時すでに遅し、ということにならないようにしたい。